HISTORY

2017/08/01

『伝えたいこと』書評 

「個人戦を生きる」   綾女欣伸

 「受験は団体戦だけぇなあ」。学年主任の声が三年生全員を集めて汗ばむ講堂に鳴り響いた高校最後の夏を覚えている。背筋に冷たいものが走り、偏差値でいけば入れるかもしれない北関東の国立大学受験日前日に飛行機に乗るのを辞めて、その春には東京で浪人生活を始めた。そのまま20年ほど都内に居座り、故郷倉吉で過ごした年月をいまや超えつつある。結局ぼくは個人戦しか戦えなかった。

 思い出したのは「受験聖戦」という言葉が、濱崎洋三さんの著作集『伝えたいこと』に出てきたからだ。「夏休みを制するものは入試を制する」。そんな教員の無責任な言葉に、講堂の隅の一教師が厳しい目を向けている。県下随一の進学校で。それは、国民学校三年生で敗戦を迎え、「大声で叫ぶ人、人を動かそうとする人、そういう人達こそを信じてはならないと思いはじめた」(「私にとっての戦後」)濱崎少年の視線でもある。

 濱崎洋三さんは1936年に鳥取市に生まれ、京都大学で日本史を修めたのちに「敗者への道を歩むことを決意し」て故郷に戻り、鳥取西高にて社会科の教師を長く勤められた。そして郷土で郷土史(を足場にした日本史)研究を終生続けられ、鳥取県史も編纂。1996年、癌のため60歳で逝去された。『伝えたいこと』には、研究論文からエッセイ、亡くなる1カ月前の講演録まで、濱崎さんのライフワークである「学び、教えること」が400頁を超えて幅広く収められている。ぼくも帰省すれば立ち寄る地元の本屋、定有堂書店から刊行された。

 容赦のない先生だったんだろうな、と思う。一年生の「現代社会」を担当したときの教材は、丸山圭三郎の「言分け構造」論から、柄谷行人のマルクス価値形態論、岩井克人の貨幣論まで、大学の教養学部さえ置き去りにしそうな当時第一線の内容だ(「恣意性・ゆらぎ・ユーモア」)。「それはちょっと高校生には難しいのでは……」という管見をピシャリと跳ね返すその厳しさの裏側にあるのは、21世紀——もう現在になってしまった——を修羅場として生きる若者たちに「もし気づいた者は喰え」と血眼で見つめた本棚から土産を持たせるような優しさでもあっただろう。幕末の鳥取藩が時局を打開できなかった原因は「やはり人材ではなかったか」と(「維新期の鳥取藩」)射る眼差しが、そこに重なる。

 「周縁人であろうとする勇気」(「驚き・肉声・深層」)が文章の至るところから噴き出している。「周縁」は「地方」でもなければ「地元」でもない。中央から見下ろす地図を描くことなく、けれど別の見知らぬ地図にも開かれている。支配と被支配の構造の外に、自分の場所を確保するための言葉だ。濱崎さんは地方史研究について、最新の流行理論を素早く操作して論文をなす「中央的」やり方と同時に、地方出身者がただ汗かき書けば地方史といった「地方的」やり方も強く批判している(「往生際を考える」)。地方にいながら地方にいない、そんな場所をひとは探し出せるだろうか。

 ぼくはいま中央にもいなければ地方にもいない。最後の秘境と言わんばかりに最近とみに東京のテレビに映し出される鳥取の姿を横目に、2020年をひとまずのゴールと措く末法的狂騒の中に身を任せられそうもないし、帰省中に国道9号線から眺める日本海が最近より美しく感じられる、と身勝手に思えるほど故郷からは離れてしまっている。まだ小さな娘が「東京出身」になってしまうのに違和感を抱えながらも、家族で鳥取に暮らす勇気もない。でも、東京で、鳥取で、「周縁人」として生きようとする人たちを見ながら、その中間地帯でなんとかやっているところがある。

  おもかげをわすれかねつつ
  こころかなしきときは
  ひとりあゆみて
  おもひを野に捨てよ

  おもかげをわすれかねつつ
  こころくるしきときは
  風とともにあゆみて
  おもかげを風にあたへよ

 鳥取生まれの作家尾崎翠は失意のなか36歳で故郷に連れ戻される前年に短編「歩行」の中でこう詠っている。学びも結局は個別的な術でしかないのだとすれば(「文化と差別」)、このまま個人戦を延長していくほかないようにも思える。自分がいま仕事の場としている出版は、個人とはいかなくても騎馬戦くらいには向いている。周縁をその都度歩んでいけそうな場所だけれど。

 「濱崎先生、それで、どうしたものでしょうか?」と、一度もお会いしたこともないのに、つい「先生」と呼んで伺いを立てしまいたくなるくらい、一度お会いしてみたかった。